2014年2月10日(月)
政府の新たな核兵器政策
核使用を容認
「集団的自衛権として」 岸田外相が「スピーチ」
岸田文雄外務大臣は1月20日、長崎で「核軍縮・不拡散政策スピーチ」と題して、政府の新たな核兵器政策をあきらかにしました(以下「スピーチ」)。4月12日に広島で開かれる「軍縮・不拡散イニシアチブ」(NPDI)外相会合(注)などの「重要な外交行事を視野に入れた」「包括的な考え方」で、来年の核不拡散条約(NPT)再検討会議をみすえた政府の基本方針といえます。昨年12月に安倍政権が策定した10年間の軍事外交方針、「国家安全保障戦略」の核兵器分野での具体化でもあり、見過ごせない問題があります。
(川田忠明・党平和運動局長)
求められる「核の傘」脱却
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「スピーチ」は「日本は、世界で唯一の戦争被爆国として…『核兵器のない世界』の実現に向けて、国際社会の取組を主導していく」とのべています。「核兵器のない世界」の実現を求める国際世論が大きく発展するもとで、日本政府もこれを無視することはできません。
ところが「スピーチ」は、核兵器は「究極的には廃絶する」と、遠い将来の課題とする一方、核兵器全面禁止条約については一言もふれていません。とくに見過ごせないのは、核兵器の使用を容認する、これまで以上に危険な立場を表明していることです。
すなわち「核兵器の使用を個別的・集団的自衛権に基づく極限の状況に限定する」ことを核保有国が宣言すべき、との主張です。つまり、日米が集団的自衛権を行使するような戦闘でも、「極限の状況」と判断すれば、核兵器の使用が許されるというものです。
日本政府はこれまでも、米国の「核の傘」に依存することを表明してきましたが、核兵器の使用については具体的に言及しませんでした。核兵器の使用を公然と容認した今回の立場は、安倍政権の「戦争する国」づくりと軌を一にしたものといえます。
国際的にみても、非核保有国がこのような形で、核兵器の使用を容認するなどということは異例であり、被爆国日本の発言として、きわめて重大です。
有害な役割
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日本政府は昨年10月、「核兵器のもたらす壊滅的な人道的結果について深く懸念」し、「核兵器がふたたび、いかなる状況下においても、使用されないことに人類の生存がかかっている」と訴える125カ国の共同声明に賛同しました。日本はこれまで、米国の「核の傘」を理由に、参加を拒んできましたが、内外の強い批判に押されて、賛同にふみきったものでした。今回の「スピーチ」が条件付きとはいえ、核兵器の使用をはっきりと認めたことは、こうした国際舞台での言動と矛盾するものです。
しかも、核兵器使用を「極限の状況に限定する」などと、「核兵器の役割」を減らすことであるかのように主張していることも重大です。これは「核攻撃」を「核軍縮」と言い換えるごまかしです。しかし、一部には、これを前向きに評価するむきもあり、議論を混乱させる有害な役割をはたしていることも看過できません。
「スピーチ」では「(核保有国が)非核保有国に対し、核兵器を使用したり、核兵器によって威嚇しないことを約束する」ことも求めていますが、核兵器の使用を認めるならば、この要求も説得力のない、空ごとになってしまいます。
「核軍縮」に積極的であるかのような姿勢をしめしながら、核兵器使用を容認する矛盾、その「二枚舌」ともいうべき態度は厳しく追及されなければなりません。
矛盾深める
集団的自衛権の容認など、米国とともに「海外で戦争をする国」づくりをすすめようとする安倍政権は、「核の傘」を含む「日米同盟の下での拡大抑止の信頼性」(「スピーチ」)を高めようとしています。しかし、被爆国にふさわしい役割を求める内外の世論に、安倍政権が背を向けつづけるならば、その矛盾はいっそう深まらざるをえません。
日本政府に、核兵器禁止条約の交渉開始を要求することを強く求めるとともに、核兵器使用の全面禁止、「核の傘」からの脱却などを迫る国民的な運動の発展が求められています。それは、被爆70周年と2015年核不拡散条約再検討会議にむけた日本の運動の国際的な責務でもあります。
(注)日本とオーストラリアの政府が2010年にたちあげた「核軍縮・不拡散分野」における非核保有国12カ国のグループ。「核兵器のない世界」には、「核リスクの低い世界」が必要として、「核兵器の役割の低減」や「ステップ・バイ・ステップ」(段階的)の核軍縮を主張。