2014年5月26日(月)
盗聴とたたかったハルぺリン氏と22年ぶり再会
秘密保護法反対の東京の講演会で
警察による電話盗聴事件元原告・日本共産党副委員長 緒方 靖夫さん 手記
日米の盗聴事件被害者がこのほど、東京で再会を果たしました。日本共産党の緒方靖夫副委員長に手記を寄せてもらいました。
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今月、日本弁護士連合会の招きで、米国防総省やホワイトハウスで長年仕事をしてきたモートン・H・ハルペリン氏が来日し、強行採決された秘密保護法に強く反対する講演をおこないました。10日、都内の弁護士会館でおこなわれた講演会で、私は同氏と22年ぶりに再会しました。
92年NYで懇談
私は警察の電話盗聴事件の被害者として、米の法律家からの招きを受け、弁護団に伴われて1992年11月に米国を訪問し、各地で交流しました。ニューヨーク入りした翌日、ニューヨーク・タイムズ紙で、ハルペリン氏がニクソン大統領の国家安全保障特別顧問であったキッシンジャーから電話盗聴され、20年間裁判で争ったうえ、キッシンジャーに謝罪させたとの記事を読みました。
私は「この方とぜひ話したい」と思いたち、「盗聴事件の被害者同士としてお会いしたい」という趣旨を伝えると、快諾の返事が返ってきました。
一行はハルペリン氏が上級研究員をしていたカーネギー財団を訪ねました。あいさつもそこそこに、互いに交わした質問が「どうして盗聴がわかったのか」だったので、互いに顔を見合わせたことを思いおこします。
ハルぺリン氏がホワイトハウスで仕事をしていた69年当時、上司のキッシンジャーが会議の内容が漏れるとその先を確かめるために、17人の部下に盗聴器を仕掛けたというのです。
その発覚は、国防総省の同僚で、「ペンタゴン・ペーパーズ」の暴露をしたエルスバーグ氏の裁判のなかで出された証拠に、彼としか話していない記録があったことだといいます。彼とアンソニー・レイク氏など3人が損害賠償の裁判を起こしてたたかったとのことでした。
21カ月盗聴されていた会話の内容には、キッシンジャーが家にかけてきた電話も含まれ、記録されていました。仕事上の会話から「猫のえさは何がいいのか」など家庭内の会話まですべて聞かれていたというのです。
私は、話を聞きながら、自分の事件と同じ被害だなと思ったのでした。
ハルぺリン氏は、「あなたにたいする盗聴は重大な人権侵害であり、徹底的にたたかってください。アメリカでの訴えは必ず広く支持されるでしょう」と励まし、「盗聴被害者同士の友」として支援するとのべたのでした。
シカゴで会った最高裁のデーモン・キース判事からも「正義のためにたたかい続けなさい」との励ましをうけました。権力の中枢にある人たちからの思わぬ激励に“米国はなんと懐の深い国なんだろう”と思いました。
勝訴報告し感謝
米国を訪問した4人の弁護士のうち、訪問団の団長であり弁護団長を務めた上田誠吉氏、兄弟のように接してくれた大森鋼三郎氏は他界しています。
今回は、鈴木亜英、藤原真由美両氏とともに講演の後にハルペリン氏と再会しました。
私から当時の写真とその後に書いた本のコピーを手渡し、「お会いした3年後に国会議員になり、5年後(97年)に勝訴が確定しました」と報告し感謝をのべました。彼は、当時を思い巡らすようにして握手の力を強めて応えてくれました。
秘密保護法問題にたいして、ハルペリン氏は、厳しい反対の声をあげてきました。来日時の講演では、強行された法律が秘密の範囲を広く取りすぎて、民主主義社会の根幹を損ねる重大な事態を招くと批判しました。日本側の秘密漏えいが過去に米側で問題になったことがなかったと、日本政府の主張に正面から具体的に反論していました。
沖縄返還交渉の際の核問題をはじめ国家安全保障を担当し、ジョンソンからオバマまで歴代大統領のアドバイザーとしての役割を果たしている方が述べる意見には圧倒的な重みがありました。
その余韻を感じながら、ハルペリン氏との再会を果たしたわれわれ3人は、22年目の邂逅(かいこう)に思いをはせたのでした。