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2015年2月24日(火)

主張

3・1ビキニデー

歴史が示した世論と運動の力

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 1954年3月1日、南太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験は、広島型原爆の約1000倍という巨大な威力をもつものでした。この実験は、ロンゲラップ島など周辺の島の住民や、1400隻以上ともいわれる操業中の漁船が被ばくする甚大な被害をもたらしました。

求められる全容解明

 厚労省は昨年9月、この実験で被災した473隻の日本漁船の船体と乗組員にたいする放射能汚染検査の資料を公開しました。これは市民や日本共産党などが公開を求めたにもかかわらず、その存在を国が否定してきたものです。10月には紙智子参院議員が農水省などに再調査を約束させ、先日、水産庁が新資料を公表しました。あらためてビキニ被災の全容解明と被害者救済が求められています。

 当時、被ばくしたマグロ漁船・第五福竜丸の無線長、久保山愛吉さんが亡くなったことは、国民に大きな衝撃をあたえました。太平洋で水揚げされた魚や雨の放射能汚染も社会問題となり、「原水爆を禁止せよ」という声が急速に広がりました。原水爆禁止の署名は3000万を超え当時の有権者の過半に迫り、多くの自治体が署名を集約するなど、文字どおり住民ぐるみの運動が広がりました。

 この運動の高まりを背景に55年に第1回原水爆禁止世界大会が開催されました。そして、大会準備委員会と署名運動の組織が合同して、原水爆禁止日本協議会(日本原水協)が結成され、56年の第2回世界大会では、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が生まれました。それだけに3・1ビキニデーは歴史的に、原水爆禁止運動を発展させる重要な節目として取り組まれてきました。

 アメリカは50年代に何度も、アジアでの核兵器の使用を計画しました。自衛隊と米軍の核兵器の共同使用が検討されていたことも最近、あきらかになりました。それらを思いとどまらせてきたのが、この時期の原水爆禁止運動の発展、反核世論の広がりであったことが、米当局者の発言や文書からもあきらかになっています。

 今年は広島、長崎の被爆から70年です。4月には核不拡散条約(NPT)再検討会議が開催されます。国内では「核兵器全面禁止のアピール」署名が500万を突破し、全国の6割の自治体首長などが賛同しています。3・1ビキニデーに、歴史に示された世論の力を思いおこすことは、今日の運動にとっても意義のあることです。

 昨年10月、155カ国が連名で、核兵器の「非人道性」を告発し、その使用禁止と廃絶を求める共同声明を発表しました。被爆者の訴えが国際政治でも響きつつあります。被爆国である日本は、この世界的な流れの先頭に立つべきです。

安倍政権の恥ずべき姿勢

 「海外で戦争をする国」づくりをすすめようとする安倍晋三政権は、「核保有国が反対しているから」という理由で、核兵器禁止条約の交渉開始を求める国連総会決議に棄権してきています。被爆国にあるまじき恥ずべき姿勢だと言わねばなりません。

 安倍政権の戦争への暴走を許さず、被爆国として役割発揮を迫ることは、日本の運動の国際的責務でもあります。その点からも、3・1ビキニデー集会の成功がつよく期待されています。


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