2015年3月2日(月)
3・1ビキニデー墓参行進
被爆70年、核兵器のない世界へ
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米国によるマーシャル諸島・ビキニ環礁での水爆実験で多くの日本漁船が被災して61年を迎えた1日、水爆実験で死の灰を浴び、亡くなった故久保山愛吉さん=元第五福竜丸無線長=への献花墓参行進が、静岡県焼津市で行われました。
小雨のなか、被爆70年を核兵器のない世界への転換点にしようと、約1600人がJR焼津駅から墓がある弘徳院まで行進しました。久保山さんの遺影を持って先頭を歩いた尾川悠さん(31)=静岡県島田市=は「核兵器は使用されれば、取り返しがつかない。『原水爆の被害者は私を最後に』の言葉の通り、着実に廃絶に向かってほしい」と話しました。
「静岡県原水爆被害者の会」のタスキをかけていた小川武美さん(71)は「私は2歳の時に長崎で被爆しました。憎しみの連鎖でなく、平和で暮らしていけるというのが私たちの願いです」と行進しました。
核不拡散条約(NPT)再検討会議に参加する若者で初めて焼津を訪ねた鳥取市の澤翔太さんは「核兵器や原発の危険性を認めないで国民をだます日本の政府は許せません。NPTに参加できるのは貴重な経験。みなさんの核廃絶の願いを届け、しっかり学び成長したい」と話しました。
弘徳院での墓前祭では、久保山さんの追悼後、各代表団が核兵器廃絶に向けた誓いの言葉を述べました。日本共産党の島津幸広衆院議員は「今年を核兵器のない世界に向けた転機の年にしていくため、党として全力をあげる」と語りました。