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2015年9月8日(火)

元最高裁判事語る 那須 弘平さん

憲法の大原則変更は国民の支持なく不可能

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 参議院で審議中の安保関連法案(戦争法案)について、広範な法曹界の人々から反対の声が上がっています。元最高裁判所判事の那須弘平弁護士に見解を聞きました。 (聞き手・山沢猛)


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(写真)なす・こうへい 1942年長野県伊那市生まれ。東大法学部卒業後、69年弁護士登録。88年日弁連常務理事。2006年5月最高裁判事(12年2月定年退官)。現在、法律事務所顧問。
          (撮影・若林明)

 ―安保法案のうち、集団的自衛権を認める部分については「法律的にも政治的にも認められない」と、日本弁護士連合会の集会で発言されています。

言うべき責任

 那須 私は中立公正を本質とする最高裁の判事の職にあったことを考慮し、単なる政策の当否に関する政治問題については、発言を控えてきました。しかし、国を運営する元となる憲法の大原則に深刻な変更が加えられるとすれば、全く別の問題になります。法律家として、いうべきことをきちんという社会的責任がある、と考えます。

 今回、安倍内閣によって憲法解釈の変更がおこなわれ、これを踏まえて安保法案が提出されたわけですが、一内閣が閣議決定でこれまでの憲法解釈を変更することには限界があるはずです。まず、その解釈変更について、これを必要とする緊急、重大かつ明白な事態が現に起きているのか、あるいは起きようとしているのかが問題になりますが、そうした事実の指摘もなされていません。

 また、1972年の政府見解では、9条で自国の平和と安全を維持するための自衛の措置が禁じられていないとする一方で、「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」といっているわけですから、これまでの政府見解とも整合しません。憲法解釈の変更は一般の法律と同様、あるいはそれ以上に論理的にすじみちが立っていなければいけないのに、あいまいなままです。これでは、集団的自衛権の行使は違憲といわざるを得ません。

現状をみると

 さらに、論理的に説明がつけばそれでいいというものではありません。今回の憲法解釈の変更は、実質的に憲法の基本原則に重要な変更を加えるものですから、国会で論議をつくしたというだけでは足りない。憲法改正には国民投票をやってその過半数の賛成が必要であるのと同じく、この種の解釈の変更も国民の多数からの支持なしには不可能だというべきでしょう。それには時間もかかるし、議論の深まりも必要です。現状をみると、今回の法案は国民の多数に支持されているとは言い難く、今後ともほとんど不可能であると私は見ています。

 ―憲法解釈を変更する条件が備わっていないということですね。

 那須 そのとおりです。尖閣列島、北朝鮮、あるいはホルムズ海峡等多くの問題があり、これからも生じることでしょうが、これらは、軍事で解決しようとすればかえってマイナスになり日本の安全を脅かします。外交で解決すべき問題です。憲法もそういうことを想定したうえで「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすること」を決意し、これを憲法前文に明記しています。

 「国民を守るため」というのが政府の大義名分ですが、現実に個々の紛争で武力の行使をしたら国民の一部である自衛隊員が命を失うことになります。その背後にいる国民を深刻な危険にさらすことにもなります。

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(写真)日本国憲法の原本(国立公文書館蔵)

憲法前文の誓い

 ―那須さんは憲法前文について、日本が「不戦を約束した誓いの言葉」であると理解し、アメリカ独立宣言、フランス人権宣言に匹敵するといっていますが。

 那須 そうです。第2次世界大戦の悲惨な体験の上に立ってできたのが日本国憲法であり、その魂ともいうべきものが憲法前文だと理解しています。大戦で200万人をこえる兵士たちが異国に倒れて還(かえ)らなかった。一般国民も、原爆、空襲などで命を落とし、財産を失った。周辺諸国の人々にも筆舌に尽くせぬ犠牲と被害を与えた。その日本が、滅亡の淵(ふち)まで追い詰められた後に、きわどいところで踏みとどまって反省し、謝罪し、不戦を約束することで生き残ることを許された。その誓いの言葉が前文です。

 アメリカ独立宣言、フランス人権宣言はそれぞれが国民の尊い血と汗と涙と引き換えに築き上げた新国の指導原理、ともいうべきものです。日本の憲法前文も新しい国づくりの原理をうたいあげ、その後の国家経営の基本となり、そのように運営されてきました。憲法前文の理念なくして、現在の日本はあり得なかった、という意味で共通するものがあると考えています。

 前文は法的拘束力を持たないというのが通説ですが、それとは別に制定当時の国民、あるいは将来の国民に向けられた政治的文書としての意味があったことを無視してはならない。この前文がまったく似ても似つかぬものに変えられてならないことは当然ですが、閣議決定という非正規の方法で行われる場合であっても、前文の示す大原則に反したり、改変するようなことには賛成できません。

良心に問うこと

 ―憲法は国民の歴史的経験に根ざしているということですね。

 那須 前文の締めくくりには「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」とあります。

 憲法の理念が破棄されようとしているいま、異国の戦場に散っていった兵士たち、戦火の中で非業の死を遂げた国内外の人々にたいして、私たちはこの前文の誓いを十分に果たしたと胸を張って報告できる状況にあるのか。このことを政治家、法律家はもちろんのこと、国民一人ひとりが自身の良心に問うてみる必要があると思います。


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