2018年1月1日(月)
米 ヒロシマ・ナガサキ平和委 被爆者とともに36年
核兵器禁止条約採択に歓喜
現実化へ意欲
「みんながこの賞の一部だ」―。核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が核兵器禁止条約への尽力を評価され、ノーベル平和賞を受賞した同じ日、ロシアと並ぶ最大の核保有国・米国の首都ワシントンでも、ささやかな祝福の会が開かれました。核廃絶・反戦運動に長年携わってきた活動家らが、はにかみながら手作りのメダルを首にかけ、喜びを分かち合います。その中に、36年間、被爆者とともに核廃絶を訴えてきたヒロシマ・ナガサキ平和委員会のまとめ役ジョン・スタインバックさん(70)の姿もありました。(ワシントン=池田晋 写真も)
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「条約の採択は反核運動の大勝利。でも一方で、私たちには米国が核廃絶に向かうよう、この祝福の気持ちを真の現実へと転換していく大仕事があるのです」。スタインバックさんは条約を拒否し続ける米政府の態度を変えていく決意を新たにします。
同委員会は1982年、スタインバックさんや故ルイーズ・フランクリン・ラミレスさんらによって設立されました。米首都圏で一貫して核兵器廃絶と被爆者を含む放射線被害者の擁護を掲げてきた、最も歴史のある反核平和団体です。
首都圏では、1960年代から広島と長崎の原爆投下日に合わせた集会が、平和団体の持ち回りで行われてきました。ベトナム反戦運動の高まりの中で、委員会はこれを定例の集会として確立。83年からは、毎年のように日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の協力を得て被爆者を招き、証言を広げる活動を続けてきました。
米在住の日本人も会の活動を支えてきました。広島出身の神田貴央さん(82)は現在、スタインバックさんとともに会のまとめ役。同じく広島出身の舞台芸術家・重藤マナーレ静美さん(69)も、映画や絵本の製作という自身の創作活動を通して、会を長年支援してきました。
神田さんは「この会のユニークな点は、必ず被爆者の証言を中心に活動してきたこと」と被爆者の献身的努力に支えられてきたと振り返ります。
30年以上にわたって続けてきた証言活動は、困難にも直面しています。渡米しての証言活動は、被爆者の高齢化とともに、体力的・経済的負担の大きさも加わり、年々難しくなっています。昨年は日本で被爆した米国在住の韓国人被爆者を初めて招き、違う角度から証言を聞くことを試みました。
核兵器禁止条約の採択を受け、今後の活動をどう進めていくか。昨年12月、会の中心メンバーが集まり、今年の集会に向けた準備が始まりました。会議では、日系米国人の被爆者にも焦点を当てることや、核廃絶を支持する教会への働きかけの強化など、機運を生かすための話し合いが白熱しました。
「毎年がチャレンジです」とスタインバックさん。核廃絶に向けて、委員会はまだまだあゆみ続けます。