2024年11月20日(水)
教育の現状と未来を語る
「あいち教職員のつどい」 志位議長の発言
日本共産党の志位和夫議長を迎え、17日に名古屋市内で行われた「あいち教職員のつどい」では、総選挙の結果、経済、外交、未来社会論などたくさんの質問が寄せられました。その中で、志位氏が語った日本の教育の現状と未来についての一問一答を詳報します。
高校授業料の完全無償は本当に実現できる?
「総選挙で、高校までの所得制限なしの授業料無償化を公約した議員が国会多数となりました。私学も含めた高校までの完全無償化は本当に実現できるのですか?」
条件が出てきたが、たたかってこそ
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志位氏は「総選挙の公約を見ると、野党間では高校の授業料完全無償化は基本的に一致しています。完全無償化を実現させる条件が出てきました。ただし、これは自動的には進みません。国民の運動がどうしても必要です」と強調しました。
その上で、志位氏は、大学の学費を見ると、主要政党のすべてが「無償化」「負担軽減」などを公約に掲げたにもかかわらず、東大が値上げを発表するなど、実際には国立でも私立でも「値上げラッシュ」が起きようとしていると指摘。「日本共産党は緊急に1000億円を投入し、値上げをやめさせようと訴えています。学生のみなさんのたたかいに連帯して値上げを止めていきましょう。高校でも大学でもたたかってこそ学費無償化が実現できます」と訴えました。
学費を無償にしたフランスの歴史と思想
さらに、志位氏は、先の欧州歴訪をふまえて、学費完全無償化を実現しているフランスの経験を語りました。フランスでは、共和国建国のさなかの1881年に教育は無償かつ義務であると定めた法律がつくられ、小中高校だけでなく大学にも適用されています。フランス共産党との懇談のおりに、「どういう考え方にもとづいて学費を無償にしているのですか」と尋ねると、「共和主義を支える文化と教養、知的判断力をもった国民を育てるのが教育の使命であり、そのことによって利益を受けるのは社会です。だから社会が費用を負担するのは当たり前です」という答えが返ってきたと紹介。「受益者負担主義でどんどん学費を上げる日本の自民党政府に、爪のあかを煎じて飲ませたい。受益者負担主義を一掃し、教育費は公費負担が当たり前という社会をつくるために頑張りたい」と決意を語りました。
どうしたら教員の長時間労働を是正できる?
「『1日7時間・週35時間労働』という日本共産党の提案はとても魅力的ですが、いまの教員の働き方を見ていると、全然展望が持てません。どうやったら実現できると考えていますか?」「また、教員は自由な時間ができたら、子どもたちのために良い授業をするために仕事をしてしまうのではないでしょうか?」
教員の異常な長時間労働がもたらしている三つの大問題
平日は1日平均11時間半勤務し、土日の出勤も当たり前…。志位氏は「こうした異常な働き方は、教員の健康と家庭生活に大きな影響を与えているだけでなく、子どもの教育にも深刻な影響を与えています。教材研究の時間がとれない。子どもの話を親身に聞き、受け止める余裕がない。不登校やいじめなどへの対応の時間がない。職員間の会話や交流の時間がないなどの実態があると聞きます。そして過酷な働かせ方が、ついに『教員不足』という異常な事態をつくりだし、三つの授業を1人で同時にこなすなどの事態が起こっています。教員免許をもっている人はたくさんいるのに、過酷な条件のもとで教師になることに二の足を踏み、志ある学生が教職を敬遠しています」と語りました。
志位氏は、この「三つの大問題」―(1)教員の健康と家庭生活への影響(2)子どもの教育への影響(3)教員不足―は、どれも日本の教育の根幹にかかわる大問題だと指摘しました。
解決の道――授業コマ数削減(教員定数増)、残業代制度の適用を
志位氏は、「こうした事態がなぜ生じたのでしょうか。以前は教員の残業時間は少なかったのです。こんなに長時間労働になったのは、あげて政府に責任があります」と述べ、「原因は複合的ですがとくに二つの問題点をあげたい」と述べました。
第一は、仕事量に見合う教員定数の配置をやめてしまったことです。
志位氏は、初めて法律で教員定数をさだめた時(1958年)、国は1日8時間労働を意識し、1人の教員が「1日4コマ」の授業を負担すれば全授業が実施できる―1日8時間労働のうち4時間は授業と休憩にあて、もう4時間で授業準備など授業以外のすべての仕事を終わらせるという計算で定数配置をしたと指摘。「ところが92年の『学校週休2日制』への移行で、『1日4コマ』の原則が崩れました。その際に『週休2日』にあわせて、週のコマ数を算出し直すべきだったのに、それを怠ったことで、『1日5コマ、6コマ』が当たり前の長時間残業必至の体制になってしまいました」と述べました。
第二は、残業代制度を適用除外にしてしまったことです。
志位氏は、71年に当時の全ての野党の反対を押し切り、公立学校教員の給与に関する特別措置法(給特法)が強行され、残業代を支給しない代わりに給与に4%を上乗せして支給する「定額働かせ放題」の制度がつくられたと指摘。「いま全国の教員の残業代は支払われれば年間9000億円にのぼります。これだけ財政負担があれば、国や地方自治体は教員を増やすか仕事を減らすかして長時間労働のブレーキをかけます。ところがいくら働いても、残業代ゼロのためブレーキが利かなくなり、長時間労働が常態化してしまったのです」と述べました。
「この二つの大問題にメスを入れる抜本的改革をやりたい」。志位氏は「授業のコマ数を、たとえば小学校の場合には『1日3コマ』に軽減すれば、7時間労働の実現が十分可能になります。コマ数軽減は全国連合小学校長会、全日本中学校長会、全国知事会も求めています。さらに、残業代制度を適用する方向での抜本的見直しを行い、『定額働かせ放題』をなくすという点でも野党各党は一定の一致があります」と強調。「教員定数を抜本的に増やす必要がありますが、教育予算を抜本的に増やせば実現できます。国民の大事な税金はまずは教育に使おうと訴えてたたかっていきましょう」と呼び掛けました。
自由な時間ができたら、良い授業のために仕事をしてしまう?
そのうえで志位氏は、「教員は自由な時間ができたら、良い授業をするために使ってしまうのでは」との疑問には次のように回答しました。
「これは素晴らしいことだと思います。教育という営みを豊かにするためには、人類の生み出した文化的遺産、科学の到達点を深くとらえるための活動が大切になるでしょう。それは自発的な意思にもとづく自由な活動として喜びにもなるでしょう。7時間労働となれば、教育の専門家として自己を豊かにする活動を行ってもなお、自分と家族のための自由な時間も保障されることになるでしょう」
競争教育をなくすために、政治に何ができるか?
「受験競争をなくし、子どもが学ぶ喜びを感じることができるような教育にするために、政治に何ができると考えていますか?」
全国一斉学力テストの廃止、高校・大学の入試制度改革を
志位氏は「過度な競争教育こそ、国連からも繰り返し是正が求められている日本の教育の最も悪い病弊です。これは政治が持ち込んできたものであり、政治の力で解決する必要があります」として、具体的に二つの改革を語りました。
第一は、全国一斉学力テストの廃止です。
志位氏は、2006年の教育基本法改悪とともに全国一斉学力テストが導入された際の国会論戦で、「子どもたちを競争においたて、序列をつけて、ふるいわけすることになる。こういうやり方が教育として好ましいと思うか」と厳しく反対したが、小泉純一郎首相(当時)は「学力テストがいけないと私は思いません」と全く聞く耳を持たなかったと批判。「しかし、実態はその通りになったじゃないですか。全国の自治体、学校、クラス、子どもたちを競争においたて、序列化し、その弊害が誰の目にも明らかになっています。全国知事会からも『そろそろやめたほうがいいのでは』という声があがっている。これはきっぱり廃止にしましょう」と訴えました。
第二は、高校、大学の入試制度改革です。
志位氏は、世界に例のない、基本的に全員に受験を課す、日本の高校入試制度は廃止すべきだと主張。また、大学入試は1点を争う相対評価でなく、ヨーロッパなどの資格試験制度を参考にして競争的性格を改善し、絶対評価の制度に変えようと提案しました。
「できる子」「できない子」のふるいわけでなく、「わかる」喜びを伝える教育を
志位氏は、さらに、異常な競争教育の根源には“格差社会を支える一握りのエリートをつくる”という思想があると指摘。06年の教育基本法改悪を推進した人物らの発言―「できん者はできんままで結構。戦後50年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養ってもらえばいいんです」(作家の三浦朱門氏)を示し、「恐るべき思想です」と断じました。
その上で、「本当の学力は、子どもたちを競争においたてることでは決してつくれません。子どもたちを『できる子』『できない子』にふるいわけするのではなく、物事が『わかる』ことの喜びを伝えるのが教育の仕事です。そのなかでこそ本当の学力も育ってくるのではないでしょうか」と語りました。
未来社会での教育の役割はどうなるのか?
「未来社会では、教育の役割は今とは全く違ってくると思いますが、『人間の自由で全面的な発展』について研究してきた志位さんの考えをお聞かせください」
「全面的に発達した人間をつくる」(マルクス『資本論』)
志位氏は、マルクスは『資本論』(第一部、第13章、「機械と大工業」)で、「未来の教育」の役割として「全面的に発達した人間をつくる」ということを強調し、教育と生産的労働を結びつけることを重視したことを紹介。「人間は、資本主義のもとでは、与えられた条件に左右されて、本来持っている能力の一部しか発達させられないでいますが、資本主義をのりこえた未来社会のあるべき姿としては、持っているすべての能力を全面的に発達させることをめざすのが、当然の方向になります。そして、『未来の教育』は、そうした『全面的に発達した人間をつくる』――まさに未来社会のあるべき姿にふさわしい役割をもつことになるだろうというのが、マルクスの展望でした」と力説しました。
改定教育基本法でも、「人格の完成」という「目的」は生きている
「こうした方向は、もともと、資本主義のもとで人類が追求してきた民主主義的教育の大方向です」。志位氏は教育基本法第1条が「教育の目的」として、一人ひとりの子どもたちの「人格の完成をめざす」――発達の可能性を最大限にのばすことにあるとしていると強調。「基本法改悪によって、新設された第2条に『教育の目標』として『わが国と郷土を愛する』など20におよぶ『徳目』が列挙されました。しかし、第1条の『人格の完成をめざす』という『教育の目的』は生きています。憲法とこの第1条を根拠にし、第2条によるゆがみを持ち込ませない――この立場でたたかうのが私たちの基本姿勢です」と強調しました。
さらに、子どもの権利条約は「教育の目的」として、「子どもの人格、才能ならびに精神的および身体的な能力をその可能な最大限度まで発達させること」と規定していると指摘。「人間の全面的な発展こそ教育の目的だというのは、人類共通の国際的原理として発展してきています。いま一人ひとりの子どもたちの『人格の完成』という教育の本来の目的の実現のために力をつくしているみなさんの頑張りは、未来社会における『全面的に発達した人間をつくる』という教育の役割と地つづきでつながってきます」と語りました。
政治が変われば、教育は変わる
「志位さんが日本共産党に入党した思い、党員になって良かったと感じること、つどい参加者へのメッセージを聞かせてください」
志位氏はここで自身の入党の経緯とともに小学校教員だった父のエピソードを紹介。「父の教育論で強く印象に残っている言葉があります。『政治が変われば教育が変わる』という言葉です。これは軍国主義教育を受けてきた父自身の体験にもとづくものです。『あれだけ軍国主義教育で凝り固まっていたのに、(軍国主義教育は)終戦後、1年ももたなかった』とよく語っていました。政治が大本から変わったら教育もいっぺんに変わります。一人ひとりの子どもにとって一瞬一瞬はかけがえないものであり、すべての子どもたちを大切にする教育の実現をめざして、目の前の教育の問題点を一つひとつ解決していくことは本当に大切なことです。同時に、政治を大本から変えるたたかいに取り組もうではありませんか。『政治を変えて、教育を変えよう』――このことを最後にみなさんへのメッセージとして訴えたいと思います」