国連女性差別撤廃条約がつくられて30年。日本ではいまなお女性差別がつづいています。女性雇用労働者の半数以上が非正規雇用であり、賃金は正社員で男性の68%、非正規をふくめると53%です。妊娠・出産、育児休業取得を理由とする解雇など違法な差別も横行しています。働きたくても子どもが保育所に入れない深刻な事態も広がっています。女性の長時間労働も広がり、健康破壊・母性破壊がすすんでいます。1人目の子の妊娠・出産で7割が退職し、30歳代の労働力率は先進資本主義国24カ国中23位と、女性が最も働きにくい国となっています。女性の地位の低さは老後の低年金にも影響を与えています。
ヨーロッパでは、母性の社会的役割を重視し、子育ては男女と社会全体の共同責任だという女性差別撤廃条約の原則に立ったルールの確立と社会的な合意がすすんでいます。パートと正規社員の均等待遇の改善、家族政策の充実、育児休業制度の改善、保育所整備などがすすめられています。その結果、家族支援の公的支出は日本の3〜4倍です。財界・大企業いいなりで、労働法制の改悪、社会保障の切り捨てをすすめる日本の「ルールなき資本主義」が、世界でも異常な女性差別の原因になっています。戦前の日本の社会を「理想」とし、民法改正などに反対する勢力が政界で大手を振っていることも異常です。
女性への差別は人間の平等と尊重の原則に反し、人類の発展に貢献すべき女性の能力の発揮を困難にし、その国の発展をもそこなうものです。日本共産党は、女性への差別をなくし、国際的な基準にたったヨーロッパ並みの「ルールある経済社会」をつくるために力をつくします。女性差別撤廃条約の選択議定書の批准をすすめます。
パート労働法や派遣労働法などに均等待遇原則を明記し、パートや派遣、臨時など非正規雇用労働者の労働条件を改善します。男女賃金格差是正をはかります。間接差別の禁止規定を実効性あるものに改善します。
妊娠・出産を社会的に保護し支えてこそ、女性が平等に働くことのできる条件がつくられます。「産休切り」「育休切り」などの違法行為の根絶はもとより、産前産後休業中は「業績ゼロ」として評価を下げても企業が不利益な扱いをしたことにはならないなどの不当な差別を禁止します。
男女雇用機会均等法を改正し、差別是正のための強力な救済機関の設置、違反した企業に対する指導の徹底、罰則の強化などをすすめます。
労働時間の短縮をはかり、男女がともに仕事と子育てを両立できる条件整備をすすめます。育児介護休業法を改正し、所得保障の6割への改善、パートや派遣労働者がとりやすいように適用条件の見直しをすすめます。
保育に対する国や自治体の責任を後退させる保育制度の改悪を許さず、だれもが安心して子どもを預け、働く権利が保障されるように、認可保育所の新増設、保育条件の改善など、国と自治体の責任で保育の拡充をはかります。
母子家庭の命綱である生活保護母子加算を復活します。児童扶養手当の削減を許さず、父子家庭にも支給できるようにします。
民法を改正し、選択的夫婦別姓制度の実現、再婚禁止期間・婚姻最低年齢の見直し、婚外子差別の禁止をすすめます。家庭、社会のすみずみまで男女平等、個人の尊厳の徹底をはかり、家庭内暴力、セクシャルハラスメントなどを生まない社会をつくります。
歴代の自民党政権は、子どもたちを競争でふるいにかけ、行き過ぎた管理で人間性を傷つけるなど、教育をゆがめてきました。そのうえ小泉内閣以来の「構造改革」は教育条件の悪化や「子どもの貧困」をもたらし、日本の教育は深刻な矛盾に直面しています。とりわけ、改悪された教育基本法にそった教育への国家介入の強化、競争教育のいっそうの押しつけが急ピッチで具体化されようとしていることは重大です。
こうしたゆがみをとりのぞき、憲法の平和・人権・民主主義の原理に立脚し、子どもの権利条約を生かし、すべての子どもの成長発達を支える教育を築きます。
国連子どもの権利委員会からも改善の勧告を受けている「極度に競争的な教育制度」を是正します。教育に「競争原理」をもちこんで子どもたちを競争に追い立て、ふるいわけする「教育改革」を抜本的に見直します。年数十億円の無駄遣いだと指摘されている「全国いっせい学力テスト」は中止し、抽出調査にあらためます。
自然や社会の仕組みがわかる知育を重視し、体育・情操教育などバランスのとれた教育をめざします。学習が遅れがちな子どもへの支援を手厚くします。学習指導要領の強制をやめ、内容の再検討を国民参加ですすめます。上からの徳目の押しつけをやめ、基本的人権を大事にする市民道徳の教育をすすめます。
「不登校ゼロ作戦」など子どもや親を追いつめる施策をやめ、子どもの「最善の利益」の立場から、多様な選択への公的支援、親の会やフリースクールへの支援をすすめます。「いじめ」の温床である過度の「競争とふるいわけ」をあらためます。子どもの生命最優先へ「安全配慮義務」を徹底します。
OECD加盟国で最下位の教育予算を、早期に平均にまで引き上げます。教員を増員・正規化し、「教員の多忙化」を解消し、「30人以下学級」を進めます。学校耐震化の促進など教育施設を整備します。不足している特別支援教育・障害児教育を充実させます。予算削減のための学校統廃合の強制を中止します。「私学の自由」を尊重し、私学助成を増額し、公私間格差を是正します。大学を疲弊させている「基盤的経費の連続削減」を中止し、予算を増額します。図書館、公民館などの拡充、専門職員の配置をすすめます。
深刻化する「子どもの貧困」を解決するため、就学援助の拡充、ひとり親家庭への支援強化、児童福祉施設の生活と進学保障の充実、児童手当の拡充、児童相談所の体制強化を緊急にすすめます。「世界一の高学費」をただし、経済的な理由で進学をあきらめる若者をなくします。乳幼児から高等教育までの教育費負担を軽減し、無償化をめざします。
国や教育委員会による学校・教員の支配をやめ、教職員・子ども・保護者等の参加と共同による学校の自主的運営に切り換えます。教員免許更新制や恣意的な教員評価制度、教員間に命令服従をもちこむ主幹教諭制度など、教員の教育者としてのあり方を傷つける諸制度を見直し、中止します。あらゆる場で子どもの意見表明権を保障します。思想・良心の自由を侵す“愛国心”の押しつけ、「君が代・日の丸」の強制、侵略戦争・植民地支配を美化・肯定する教育に反対します。
途切れることなくつぎつぎに明るみにでてくる「政治とカネ」の黒い疑惑に、国民は怒り、あきれています。「政治とカネ」にまつわる疑惑が表ざたになるたびに「政治改革」などとして政治資金規正法「改正」が繰り返されてきました。しかし、おこなわれたのは、企業・団体献金そのものにはなんら手をつけずに、受け取り手を多少制限したり、政治資金集めのパーティ券購入に「上限」を設けるなど、きわめて部分的なことばかりでした。このため、法「改正」後も法の“抜け穴”を悪用した不正事件が跡を絶ちません。企業・団体献金はあれこれの条件をつけずにきっぱり禁止します。
国会議員のいわゆる「世襲」が問題になっています。自民党議員の約4割、民主党議員の約2割が「世襲」議員だとされています。政治資金や後援団体などをあたかも親から子への“財産相続”のように扱うやり方は、民主主義と到底両立するものではありません。国会議員の「世襲」はなくすべきです。
政党助成金制度が導入されて15年がたち、この間に各党が受け取った金額は、自民党2278億円、民主党1190億円、公明党352億円、社民党315億円にもなります。この制度は、“企業・団体献金をなくす代わりに”などという口実で設けられたものですが、この約束は反故にされつづけ、いまや“企業・団体献金も、政党助成金も”のありさまです。
民主党の収入の8割、自民党の収入の6割が政党助成金でまかなわれています。自民党も民主党も「官から民へ」などといいますが、自分たちこそ税金を食いものにする“国営政党”“官営政党”です。日本共産党は、国民の税金から政党が活動資金を分け取りすることは、その党を支持していない国民にも有無をいわせず“献金”を強制するものであり、「思想・信条の自由」や「政党支持の自由」に反する憲法違反の制度であると厳しく指摘し、受け取りを拒否してきました。政党助成金制度はきっぱり廃止します。
自民・民主両党が、「国会議員定数削減」を競い合っています。民主党は「衆議院の比例定数を80削減する」、自民党は「少なくとも1割、50人以上削減」という具合です。
比例代表制は、各党の得票率に応じて議席数を配分することで、有権者の選択を議席に正確に反映する仕組みです。比例代表制の定数削減の最大の狙(ねら)いは、少数政党を国会と国政の舞台から締め出すこと、これらの政党が代表している国民の声を国会と国政の場から切り捨てることです。
日本共産党は比例定数削減に強く反対し、衆議院選挙制度を全国11ブロックの比例代表制に改革します。高すぎる供託金制度の抜本的見直しをはかります。憲法がうたう「国権の最高機関」「国民の代表機関」にふさわしい国会を実現するために全力をあげます。
憲法は、公務員や官庁・役所は「全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」(第15条)と定めています。ところが、長年の自民党政治のもとで、行政は、主権者国民全体への奉仕をそっちのけにして、「財界・大企業いいなり」「日米軍事同盟最優先」という自民党政治の“目的”に奉仕するものにねじ曲げられています。
財界・大企業に偏重した審議会の構成を、行政に国民の意見を公正に反映できるものにあらためる……中央官庁自体が、自民党政権のもとで財界・大企業中心主義の発信地となっています。その典型的事例の1つが、各省庁に無数に設置されている審議会や調査会・研究会などの行政機関です。これらの審議会の設置は、国家行政組織法などが根拠とされ、それぞれの官庁の重要な方針や計画を策定したり、政策にたいする答申などをおこなったりする機関と位置づけられています。こうした審議会にどういうメンバーが参加するかは、各省庁の政策決定にきわめて大きな影響を持っています。特徴的なのは、ほとんど必ずといっていいほど、財界・大企業の役職者が名前を連ねていることです。
大型公共事業と国土開発計画の中心を担ってきた国土交通省には、国土審議会や社会資本整備審議会、交通政策審議会など13の審議会や委員会が設置されています。これらの審議会には、財界・大企業の役職者が何人も加わっています。たとえば、国土審議会の会長は、東芝の相談役が就任し、中部経済連合会や関西経済連合会の各副会長が名前を連ねています。各省庁の審議会を中立・公正なものにするために、国民の声を正しく反映させるシステムにつくりなおさなければなりません。会長や副会長には財界・企業など特定団体の代表を就任させないことや、メンバーの選出に当たっては各党が推薦する人を就任させるなどの改革をすすめます。
天下り禁止・企業献金禁止など、政官財のゆ着を断ち切る法的措置を講じます……中央省庁の高級官僚が、政治家、財界とゆ着して、相互に特権的な利益を享受しあう関係になっています。この「政官財」ゆ着は、財界・業界が、一部の特権官僚に“特別席”“指定席”を保障する(天下り)、その見返りに官僚が財界・業界の利益につながる政策をたてる、それを自民党などの政治家が国会で成立させ、その見返りとして財界・業界が多額の政治献金をするという、いわゆる「トライアングル」と呼ばれる根深い構造に支えられています。一昨年明るみにでた、国が発注元になったダム工事をめぐる「官製談合」問題は、事業それ自体が巨大な税金のむだ使いであったうえに、国土交通省が音頭を取って談合を組織して巨大ゼネコンに受注させ、それらのゼネコンが高級官僚には「天下り先」を、政治家には企業献金を提供するという「構造的」なものでした。
この「政官財」のゆ着を断ち切り、行政を、憲法が明記する通り主権者国民全体に奉仕するものに改革するために、企業・団体献金を即時・無条件に禁止するとともに、高級官僚の営利企業・業界団体、政府関係法人への天下りを禁止する法律を制定します。
行政情報を主権者国民に明らかにするシステムを確立する……国家的な問題について、官僚だけによる恣意的な考えによる運営や遂行を許さないことも大切な課題です。
たとえば、従来、道路建設や大型開発の優先順位(いわゆる「箇所づけ」)について、政治家による「天の声」も問題とされてきましたが、エリート官僚の独断による決定も指摘されてきました。これらの問題については、徹底的な情報公開を義務づけるべきです。
こうした問題とともに、最近大きな議論を呼んでいるのは、いわゆる「非核3原則」にかかわる密約問題です。すでにこうした核密約が存在していることは、この十年来の日本共産党の国会での追及でも明らかになってきました。この間、歴代事務次官が、この密約の存在を裏づける証言をしています。問題は、その際、密約の存在について、事務次官には実物も含めて代々継承しておきながら、歴代の外務大臣のなかには伝えられなかった人もいるということです。「官僚主導」というなら、これほど最悪の「官僚主導」はありません。日米間の密約は核問題だけでなく、さまざまな分野、範囲に及んでいると指摘されています。日本共産党は、現在あるあらゆる「密約」について、原則として国民の前に明らかにすることを要求します。
公務員制度を民主的なものにあらためる……公務員が真に「全体の奉仕者」として業務に従事できる体制を確立することが重要になっています。08年の国会で成立した「国家公務員制度改革基本法」は、公務員の採用時からエリート官僚(キャリア)と一般公務員を差別する「総合職」制度を温存し、特権的な天下りには手をつけないばかりか、大企業との「人事交流」を大々的にすすめられるようにするなど、憲法のさししめす民主的な「公務員像」とはおよそ無縁なものです。このような「公務員制度改革」は、抜本的に見直します。
公務員の削減数を「競い合う」ような議論もありますが、無駄や浪費にメスを入れるのは当然のこととして、福祉、医療、教育などに携わる人を減らしたり、不安定で劣悪な労働条件の非正規職員に置き換えたら、国民の「首を絞める」ことになってしまいます。
憲法が保障しているにもかかわらず公務員から不当に剥奪(はくだつ)されているスト権などの労働基本権の全面回復をはかるとともに、「官製ワーキング・プア」といわれるような非常勤職員の劣悪な労働条件の改善も急務となっています。
「地方分権」といいながら、この間やられてきたことは、「三位一体改革」による地方交付税など地方財源の大幅削減と、市町村合併の押しつけでした。「だまされた」という声が、地方からわきあがっているのは当然です。
いま、「分権」というなら、こうした地方切り捨てによって壊された地域経済と地方自治を回復させるとりくみを、財源を保障して全力で応援することです。また、国から地方への国保証とりあげの強制など、悪政押しつけの仕組みをやめること、そして、子どもの医療費助成を自治体がおこなうと交付金にペナルティを課す、介護保険料減免に一般財源を使うなという「指導」など、自治体の独自施策を抑制する仕組みをやめることです。
自公政権でのこんどの「分権」の検討は、福祉や教育などの水準を不十分ながら保障するため設けてきた国の基準を「分権」の名で取り払い、国の責任を放棄して、負担を削減することがそのねらいです。これでは自治体が、独自の施策を発展させるどころか、住民施策の最低水準を確保することも難しくなってしまいます。
民主党も「補助金全廃・一括交付金化」といって、「一括交付金」に切り換えるさいに、国から地方への支出を削減するとしています。
地方の財源確保を保障することこそ地方自治発展の土台です。日本共産党は、福祉や教育などの国庫負担金・補助金の廃止・縮減に反対し、その改善・充実をもとめます。地方財政の重要な柱である地方交付税の復元・増額で本来の財源保障・調整機能を回復・強化し、住民のくらしをまもるために必要な地方の財源総額の確保をはかります。
国直轄事業負担金を、“必要な事業は、国の責任と負担でおこなう”という方向で抜本的に見直します。国直轄事業に多く含まれている高速道路、港湾、ダムなど、不要不急の大型公共事業は削減・中止します。国が維持管理費や国職員手当などの負担を、地方に押しつけることは直ちにやめます。
地方の財源確保のために「地方消費税の充実」をもとめることは、消費税の大幅増税に直結するものであり、反対します。
自民党は、いま約1800となった市町村をさらに当面700から1000程度にし、いまの都道府県をなくして、全国を10程度の道州に再編するとしています。民主党も、「道州の導入も検討する」としています。
道州制は、単に地方制度の大改編にとどまらず、国の仕事を外交や貿易、軍事、司法などに限定する一方、憲法が明記するくらしや雇用、福祉、教育など、国民の基本的な権利をまもる国の責任を投げ捨て、地方に押しつけるものです。もともと財界が提唱して、自民、公明、民主が受け入れてきたもので、国民や地方にとっての必要性からでてきたものではありません。自治体行政は住民から遠くなり、財界は、広域行政をになう道州にインフラ整備の大型開発へ財源を集中させることなどをもとめています。
日本共産党は、道州制の導入と小規模自治体切り捨てなどさらなる上からの市町村再編の押しつけに反対します。住民と自治体による地域の振興のとりくみを応援し、地方自治を守り発展させます。